日本語学校の卒業式で思うこと②―第二言語学習

カナダの公用語は英語とフランス語である。でもフランス語は公用語ではあるものの、基本的にケベック州でしかメインでつかわれていない。だからトロントでフランス語を聞く機会はほとんどない。学校で第二外国語としてフランス語を学ぶらしいが、あまり身に付かないのだと聞く。なんとなく日本の英語教育のような感じなのではないかと想像する。(オンタリオ州の一部の学校ではフランス語で授業を行っているところはある。)

ではカナダで生まれ育った人たちは英語しか話せないのか、というとそんなこともない。色いろな環境が考えられるので一概には言えないが、中国系の両親に育てられた子どもは英語(学校で毎日つかう)と中国語(両親の母語だと会話ができる場合が多い。読み書きになるとできる人が減るイメージ。放課後や週末に語学学校に行っていたり、両親が熱心に教育していたりすると読み書きができたりする)とフランス語(学校で習う)が習熟度にばらつきはあるものの、つかえたりする。これは日系や他の言語においても同じである。

以前、カンボジア出身の両親に育てられたカナダ生まれカナダ育ちのルームメイトは、幼稚園に入った時に初めて英語で話しをすることになって、かなり大変だったと言っていた。家ではクメール語しか話したことがなかったから、英語を全く知らなかったのだという。だから、Mikiがカナダで生活するのがどんなに大変なのかわかるよ~、と優しく言ってくれたりした。

こんな背景もあってカナダでは英語以外の言語を話せる人たちが結構いるし、言語を学ぶことが日本人に比べてハードルが低いような気がする。

私がボランティアをしていた日本語学校では継承語クラス(両親や親のいずれかが日本語を第一言語とする子どもが主な対象で授業は日本語で行われる)とそうではないクラス(日本語に繋がりのある生徒、そうでない生徒がいるが、日本語で授業を行うほどの日本語能力がないので、授業は英語で行われる)に別れていた。

私は英語で日本語を教えるクラスのティーチングアシスタント(TA)をしていたが、色いろなタイプの生徒がいた。両親の一人が日本人もしくは日系、両親ともに日本と関係のない生徒。なんとなく日本に関係のある生徒の方が日本語の上達が早いのではと思うかもしれないけれど、1年を通じて私が伸びたなと思ったのは意外にも全然日本と関わりのない生徒だった。将来は医者になりたいと言うその生徒はもともと頭が良いのだと思うのだが、それだけではないような気がした。日本語を話せるようになりたい、日本の文化を理解したいというモチベーションが彼女を日本語学習に駆り立てていたような気がする。一方で、親に「連れてこられている」日本に関係のある生徒は残念ながらあまり伸びない。

その優秀なその生徒が言うには、第一言語は母親の出身国のもので英語と同じレベルなのだそう。そして学校では英語で授業を受け、フランス語学習も楽しんでいるらしい。これで日本語能力も伸びたら4ヶ国語話せるようになるということになる。未だに英語に四苦八苦している私にしてみるととても羨ましい。

そして彼女を見ていて思うのは、言語学習にはやはりモチベーションが一番大切なのだ、ということである(言語学習に限ったことではないけど)。

最近、日本では英語の早期教育を行う親も多いと聞くし、身近にとても高額な英語教材を生まれて間もない子どものために買ったという人の噂も聞く。語学は始めるのが早い方が習得が早いという説があったりするが、モチベーションも低く、やらされていると感じられるような英語教育を行うより、英語に興味を持ってもらう環境作りをまずは行うことが一番の語学習得の近道なのだなと実感する。

日本は外国語を学ぶ、というと、完璧に話さないといけないとか、色いろ考えてしまうような気もするけれど、もっと気軽に楽しんで、間違えても伝わる楽しみを感じられる環境が増えれば良いなと思う。

そして日本語を吸収していく生徒をみていると私も少し励まされる。私も英語を学び続けなければいけない。がんばろう。

本文とは全く関係ないが、日本語学校が借りているトロントの公立小学校の女子トイレ。無駄に広い空間と、手を洗うスペースが面白い。

足元のバーを押すと水が出る。1人で手を洗っても6人で洗っても同じ量の水が出る。水がもったいないな―と思いながら手を洗う。(蛇口の締め忘れの心配がない点は良いと思う)

 

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