ステータスとしての車

トロントに住む多くの留学生の活動範囲は限られる。それは公共の交通機関で行けるところが限られているからだ。公共の交通機関で行けたとしてもバスをいくつも乗り継ぐ必要があったりする。だからといっていちいち車をレンタルするのは面倒なので、車でしか行けないところは候補地から自動的に除外されてしまう。

でも車があれば別だ。どこへでも行けるし、冬の厳しい寒さを気にする必要もない。

しかし購入するのはごくごくわずかな留学生だけ。基本的に留学生は学校の近くに住んでいるので通学に車は必要ないし、平日はもちろん、土日も課題をこなさなければならないため、せっかく車を購入したとしても活用機会が少ないからだ。

そんな中、先日仲の良い中国人留学生の友人が車を買った。なんでもマニュアル車で約350万円払ったらしい。月々の保険料は約2万5千円、ガソリン代は8千円くらいを見込んでいるという。いうまでもなく車は一括払いである。

私は、車とドライバーを同時に手にした気分になり、車でどこに行こうかとすぐに考え始めた。だが一方で、彼が車(特に高価なマニュアル車)を購入したことに私のグループメンバーはかなり否定的だった。彼の車の恩恵を私たちも受けることは間違いないのに、である。もう購入した後だったこともあり私は黙っていたのだが、友人たちは色々と質問を重ねた。彼は私たちに一通り車を買う意義を彼なりに説明したが、質問した友人たちを納得させることはできなかった。そして彼は最後に開き直ったように言った。「これは僕のおもちゃだからいいんだ!このおもちゃで遊びたくて買ったんだ!この車を運転したかったから買っただけだよ!」なんとも正直で分かりやすい説明だと思った。そうなのだ。彼は別に交通手段を必要としていたわけではなかったのだ。車という交通手段にもなり得るおもちゃを買ったのだ。

そして私は、彼がそれを買ったのにはもう一つ理由があると思っている。それは自分がお金持ちであることを示したかった、ということだ。特に彼を含む若い中国人留学生はお金持ちであることを示したがる傾向にあるように思う。人の持ち物の値段を聞いてくるし、自分で購入した物の値段を言いたがる。

だからやっぱり高額な車を購入するということは、お金持ちであることを示す手段の一つだったのだと思う。日本でも車を所有することがステータスだった時代があったことを思い出した。

車を買う経済力のない私には、彼の購入理由について気にする必要はない。友人の車でこれからどこに行こうか計画を立てるだけである。早く暖かくならないかな。

 

※写真は学校の駐車場。友人の車はありません。

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