トロントで東日本大震災を考える

情報は直接入手するのが一番良いのだと思う。でもそれはなかなか難しい。その場合は情報により近い人から得るのがいい。それも難しい場合は、メディアなどから入手するしかない。

私にとって東日本大震災の被災地での出来事は、直接知ることができない、被災者の方から直接聞く機会の少ない出来事だった。

当時、私は横浜で津波で流されて持ち主不明になった写真をキレイにするボランティアに参加したり、2012年に気仙沼で開かれたチャリティマラソンに参加したくらいで、東北で被災された方と直接お話をする機会はほとんどなかった。

そんな私だったけど、なんとトロントで宮城県の閖上地区で被災した方から当時の話を聞く機会をいただいた。最近トロントに来られた七海さんというこの春高校を卒業したばかりの彼女は、日本で自身の被災体験をお話する「語り部」という活動を全国でされていて、それをトロントでもしてもらったのだ。

聞いてみて、震災を風化させてはいけないという強い意志を持ってお話をされているのだということがひしひしと伝わってきた。

お話の内容は、震災当日に何が起きて、どこに逃げて、その時に何を感じたのか、ということ。震災後に起こった震災イジメや周りの大人たちの対応、そして語り部を始めたきっかけなどなどを話してくれた。お話の最中はその光景が目に浮かぶようで、聞いていてとても辛かった。気を緩めると泣いてしまいそうだった。

誤解を恐れずに言えば、七海さんからの話にそこまで驚くことはなかった。ニュースでは被災地で何が起きたのかを報道していたし、震災イジメの原因やその問題点についての話も聞いたことがあった。

でも私が知っていたのは、とても表面的なものだったのだとすぐに気が付かされた。マスメディアで報道されるのはほんの一握りで、報道することのできるところだけ。震災イジメでは、先生もイジメに加担していたこと、どんな方法や手段でイジメが行われたのか、いじめられた当事者は何を思ったのか、そもそもなぜ七海さんはその学校に通うことになったのか、などなど、より状況を詳細に知ることができた。

せっかく生き延びたのに、震災を機に辛い出来事は毎日続いていて、どんなに苦しかっただろうかと思った。と同時に私は彼女の話を聞いて、なんと人間は弱いのか、と考えた。すべての人が極限状態に陥った時、人間は普段絶対にしないであろう行動に出ることもあるのだと。それは年齢とは関係ない。七海さんは被災した時には小学5年生だったそうだが、大人たちの自己中心的な行動をとても客観的に捉えていて、人間としての成熟度と年齢はさほど関係がないのだと思った。

自分は極限状態に陥った時にどのように行動するだろうか、と通常状態で生活している私には想像することはできないけれど、どんな時でも自分を客観視できる私でいたいと思う。

七海さんは震災を通じて多くのことを学んだと言っていたけれど、つらいその時の状況から学べる人、学べない人がいるわけで、何事も学びに変えていける七海さんは強いのだと思った。

18歳、こんな若者が日本にいるのなら、日本の未来はまだ明るいな、といつの間にか年を重ねた私が考える。とはいえ、私もまだまだがんばります。

トロントで七海さんから話を聞いてみたい方がいれば、お繋ぎすることもできますので、ぜひご連絡ください。七海さんはしばらくトロントで生活されるみたいです。

2012年の気仙沼駅

まだ崩れたり流された建物が残っていて、衝撃を受けたのを昨日のことのように思い出す(2012年5月撮影)

 

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