Celebrate Refugee Rights(難民の権利を祝おう)というイベントに行ってきた。それは都心の教会内にある小さな集会所で行われたものだった。
会場には、会を主催している人たちと、難民としてカナダで生活をしている人たちがいた。近年、カナダは多くのシリア難民を受け入れているので、シリア難民と思われる人たちが多いものの、アフリカからの難民と思われる人もちらほらと見受けられた。みんな家族連れで幸せそう。でも、そんな家族だけど今まで色々なことがあったのだろうな、と勝手に想像して勝手に胸が苦しくなった。今ここで無邪気に走り回る子どもたちも、きっと私には想像できないような毎日を過ごしてきたに違いないと思った。
無料でお菓子がもらえたり、ペイントコーナーがあったり、子どもたちの合唱や、詩の朗読、歌の出し物などがあった。出し物は英語と出し物をする人の母国語であるアラビア語と思われる言語やスペイン語などで行われた。色々な言語を混ぜてパフォーマンスを行ったのは、きっと子どもたちに母国を想う気持ちと、自分たちのルーツを忘れないでほしい、という気持ちが込められているような気がした。
難民でもカナダの国民でもないアジアからの留学生の私は、なんとなく場違いだと感じてしまうような空間だった。やっぱりこのイベントにもアジア人の見た目をしているのは私を含めて2人だけ。人種によって興味関心の方向や所属するコミュニティーが違うのだな、ということを再確認した。
最近、自分でも不思議なくらい難民という言葉に反応していて、イベントに参加したりネットで検索をしたりしている。正直に言えば、私はカナダに来るまで難民と移民の違いもなんとなくしか認識してなかったようなタイプだった。でもそれは、難民や移民という言葉を日常的に聞く機会や使用する機会がなかったからだと思っている。
カナダの私の周りで難民という言葉を日常的に使うことは今のところないけれど、日本よりは身近だ。ニュースサイトを見ればRefugee(難民)という言葉を探すのは簡単だし、恐らく難民の人を探せばすぐ近くにいるような気がする。今日、学校のカフェテリアでは、シリアの問題について熱心に語り合う学生もいた。
知らないことに興味は持てない、だから色々な方法を使って情報収集をする必要があるように思う。この狭くて広い世界には私の知らないことがまだまだたくさんある。それをもっともっと見つけたいと思う。