日本語教育に関わりはじめて早4年。始めた動機は、日本語を言語として客観的に理解したい、というものだったが、日本語に対する理解はもちろん、日本語というマイナー言語を勉強するカナダ在住の生徒さんからポジティブな影響をたくさん受けることができ、とても貴重な経験だったように思う。振り返ると、学校や仕事の合間に、
ティーチングアシスタントとして
- トロント日本語学校(TJLS)で子どもクラスを1年、大人クラスを1年
- トロント大学の継続教育課程の講座で大人クラスを3ターム
講師として
- 日系文化会館(JCCC)で大人クラスを1ターム
受講者として
- 国際交流基金トロント(JFT)の日本語教師用研修への参加
など、JCCCのタームが終わる頃に新型コロナでトロントがロックダウンされてしまったので、結局講師としては1タームしかできなかったが、全体を通してとても楽しく過ごしてきたなと思う。
昨年日本に帰国してからは、もう日本語教育に関わることもないだろうと思っていたが、思わぬ依頼を受けた。友人の奥さんの日本語の先生である。
友人からは、英語で日本語を教える他に、日本文化の説明や、日々の生活で困っていることを助けてほしい、ということだった。
私もマレーシアとカナダで生活したことがあるので、旅行ではなく住む時に困るポイントはある程度想像できたし、日本人の私では想像できない外国人視点の日本での生活にも興味があったので、依頼を受けることにした。
レッスンではあくまでも私は「先生」なのだが、毎回彼女からの質問や意見を通じて、私の知らない日本を発見でき、予想通り私としても興味深い時間となっている。
まず「ナンパの断り方」についての質問。確かに私の友人である日本人の旦那さんでは答えを持っていなそうな質問だ。これには私も大して経験がないなぁと思いつつもアドバイスした。彼女は所謂、綺麗なヨーロッパ人なので、街中(街中でなくても!)でよく声を掛けられるらしいが、それが恐いらしかった。その大変さや恐さは彼女に言われなければ私にはわからないことだった。
スーパーの買い物に同行した時には、食品ラベルがいかに日本語のできない人が理解するのが難しいかを知った。そして私の魚の種類の英語のボキャブラリーの乏しさを実感したのだった。アジア出身者であれば、日本語ができなくても食品を直接見てある程度理解することができそうだが、食文化の異なるヨーロッパからきた彼女にそれは難しいようだった。
ある日は、天気が良いから公園のベンチでレッスンをやろう、と言われ、公園に向かった。発想がヨーロッパ人って感じで、自由で素敵だなと思ったりした。
これからも彼女が日本での生活を快適に過ごすことができるようにお手伝いしつつ、私も日本を違う角度から見ることを楽しもうと思う。