みんなのためのリメンバランスデー

11月11日は何の日?と聞かれてどれほどの日本人が答えることができるだろう。101年前の1918年11月11日は第一次世界大戦が終わった日である。決してポッキーの日ではない。恥を忍んで言えば、私もカナダに来るまで何の日なのか知らなかったし、日本の義務教育ではあまり第一次世界大戦について詳しく触れないので仕方のないことなのかもしれない。

この日はカナダを含む第一次世界大戦に参加したイギリス連邦諸国とドイツやフランスで戦争の戦没者を追悼する式典が行われる。現在カナダで行われるこの式典では、第一次世界大戦だけではなく第二次世界大戦や他の戦争での戦没者を追悼する意味もあるらしい。

カナダでは首相が参加するオタワでの式典の他に各地で式典が行われる。私はトロント市庁舎で行われる式典に参加しようと思っていたが、その日はあいにく雪が降っていたので屋内からYoutubeライブで式典の様子を見ることにした。

トロント市庁舎での様子はthecityoftoronto(トロント市公式チャンネル)で、首都オタワの様子はCBC News(日本で言うNHK)やGlobalNews(民放)で中継されていた。

トロント市庁舎前での式典(トロント市公式チャンネルより)

式典の規模にもよるようだったけれど、スピーチがあり、黙とうをし、リースを捧げ、子どもたちの歌を聞き、行進をする様子を映していた。

トルドー首相はオタワの式典に奥さまと参加(CBCNewsより)

日本の献花のようなものだと思う(CBCNewsより)

子どもたちが歌を捧げる(CBCNewsより)

式典の最後にはパレード(CBCNewsより)

スピーチでは「we will remember them」というフレーズが繰り返し登場していて、この祝日の意味を物語っていた。

中継でのインタビューは興味深かった。

この女性は祖父が第一次世界大戦に参加し、父も第二次世界大戦に参加し、そして彼女も長いこと軍に関係する機関で働いてきたので、この式典に参加することは彼女にとってとても意味のあることなのだと言っていた。

中継を見る限り、式典の参加者や周辺にいる人たちの平均年齢は比較的高い印象を受けるが、中には学校の授業の一環で来ている人もいたようで、インタビューに答えていた。引率の先生は、教室で学ぶだけでなく、実際に式典に来て感じることが大切なのだということを力説していた。

この中継を見ながら、日本での式典を考えた。私が思い浮かべられるのは8月6日に広島で行われる平和記念式典(広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式)と8月15日に東京の日本武道館で行われる戦没者追悼式である。

私はこの2つの式典はとても「きちんとした式」であった印象があったので、参加するにはどうすれば良いのか調べてみた。広島の平和記念式典は一般席が設けられており、先着で参加することができるようだったが、戦没者追悼式は完全に招待制(遺族枠6,000人)だった。

日本はカナダに比べ人口が多いことに加えて、式典が一ヶ所でしか行われないことを考えると、仕方のないことなのかもしれないが、もう少し国民にオープンな式典であっても良いのではないか、とカナダでのインタビューを見ながら考えた。

オープンにしたところでどれくらいの人が参加するのかは分からないけれど、国民が命を落としたことに対しての式典に、国民が自由に参加することができないのはなんだか少し違和感を覚える。

今日も世界では争いごとが絶えず多くの人が亡くなり、残された人たちは悲しみに暮れている。私を含め、どこか日本人にとって戦争は遠い昔の過去のもの、という意識があるような気がしているが、それはそれらに触れ考える時間が少ないことも影響しているはずだ。

悲惨な戦争について考えることは辛いことではあるけれど、だからこそ繰り返えさないのだという想いを持ち続ける必要があり、そのための「教育」を定期的にしていく必要があるのだと思う。平和は人々の努力なしに永久的に続いていくものではないことを自覚しながら。

赤いヒゲナシの花は戦没者のシンボルで、式典参加者だけでなく一般市民が左胸に付けているのを見ることができる。写真は近所の工事現場にあったもの。

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