高校野球岩手県大会の大船渡高校の国保監督のコメントを見て、なんだか泣きそうになった。私もこんな指導者の元で部活がやりたかった、とずいぶん昔の出来事を思い出したのだった。と同時に監督が私と同じ学年であると知って、これから部活動の指導者も世代交代が進み、良い環境下で部活ができるようになるのではないかと少し希望が持てた。
<高校野球岩手大会:花巻東12-2大船渡>◇25日◇決勝◇岩手県営野球場
大船渡・国保陽平監督(32)が決勝での「佐々木温存」を貫き通した。
「故障を防ぐためです。未来があるので。甲子園はもちろん素晴らしい舞台で、勝てば待っているのは分かっていたのですが、3年間朗希を見てきて、これは壊れる可能性が高いのかなと、私には決断できました。佐々木朗希が投げなくても勝利を目指せると思いましたが(相手の)守備で封じられてしまった」。途中起用もしない意向は選手には伝えていなかった。
私が高校生の時、本気の運動部に所属していてインターハイを目指していたと言うと、大人になってから出会った人たちには驚かれる。最近の私は文化部(というか帰宅部)に見えるらしい。それもそうだ、私は運動部のしきたりやノリが大嫌いだからだ。
高校を受験する時には、大学の合格実績よりも、部活がどれだけ強いのか、その部活の将来性を重視した。どこに入れば強くなれレギュラーを勝ち取りインターハイに行けるのか、それが一番大切だった。そして、都内の私立女子高に進学することに決めた。
でもそこで待っていたのは精神修行という名のもとに行われるしごきであり体罰だった。先輩や先生の機嫌が悪ければどつかれ、殴られ、そして稽古中に倒された。1年生は稽古中、稽古後の水分補給も許されず、ケガをしても足にテーピングを巻いたりサポーターを付けることも許されなかった。合宿中は体力を付けるという名目で2人前以上の食事をしなければならず、そんな時は食事の途中にお手洗いへ行き、胃の中を一度空にしてから食事場所に戻り、残りの食事をたいらげた。そして食事が終わってからは消化を助ける胃薬を飲んだ。お手洗いに行くのも許可制。申告しても許可されず、食事中に食べ物が逆流した同期(食べ物を極限まで詰め込むと自動的に逆流するのだ)や、練習試合会場で漏らして試合会場を水浸しにした同期もいた。
私が1年生の時の夏のインターハイに3年生の先輩は出場した。もちろん部員の私も応援に行った。でも応援できなかった。普段自分を苦しめている先輩を応援する気にはなれなかったのだ。早く負けてほしいと心の底から思ったし、同期とは負ければいいのにと話をした。そんな私たち後輩の気持ちをよそに先輩は勝ち進んでいたけれど、試合の内容が悪いといって顧問に試合の合間に殴られて顔が赤く腫れあがっていた。
毎日「精神修行」に耐えインターハイに出場しても部員から祝福されず、インターハイで勝ち進んでも、適切なアドバイスをもらえないどころか指導という名目で殴られる。一体この部活を通じて私は何を得ることができるのだろう。この環境下で剣道を強くなることにどんな意味があるのかわからなくなった。憧れのインターハイの応援に行ったのに、私はインターハイの試合会場でモチベーションのすべてを失った。そしてインターハイ後の最初の稽古日に退部届を提出し部活を辞め、そして行く意味を完全に失った高校を自主退学した。
と、こんな話を本気の運動部に属したことのない人に言うと驚かれるのだが、本気の運動部出身の友人に話すとそれほど驚かれない。運動部では多かれ少なかれ同じようなことが行われていたからだ。特に高校野球の世界は酷い。当時周りから聞こえてきていた高校球児の体罰の話は私からしてもあり得ないことだらけだと思ったし、聞いていて悲しくなるほどだった。だからこそ私が高校生だった時から18年が経過したとはいえ、私の高校野球の監督のイメージを超える選手の事を考えた国保監督のコメントには感動したし、このコメントから読み取れる日々の生徒との関係性や指導の姿勢に感激した。岩手県予選の決勝では負けてしまい甲子園への出場は逃したらしいが、生徒にとって素晴らしい指導者の元で過ごした時間は甲子園出場にも劣らない価値、もしくはそれ以上の価値があったのではないかと思う。少なくとも私のインターハイへ出場した先輩よりは卒業後に繋がる経験をしたのではないか。
一方で、元プロ野球選手である高齢のコメンテーターはテレビ番組で精神論を主張し登板しなかったことを非難したという。このような前近代的な思考をお持ちの方には早く公の場から引退していただき、指導者の世代交代を加速させ、科学的で生徒の将来に繋がる指導をする指導者がもっと出てきてほしいと心の底から願っている。