ケープタウンの定番観光スポットの一つにロベン島がある。ネルソンマンデラを含む政治犯が収容されていた刑務所があった島だ。今では島内にある刑務所を見学するツアーが毎日行われている。島に200人の住民が生活しているせいなのか、個人での見学は許されておらず訪れる際にはツアーという形式をとっている。ケープタウンから船に乗り、下船後は乗客を待ち構えている数台の大型バスに分かれて乗車、バスガイドさんと共に島内を見学する。その後刑務所へ行き元囚人の方から説明を受け、刑務所から船乗り場まで個人で歩いて戻ってくる、というものだ。
事前にネットを調べていると、人気なので事前にチケット購入をしないと乗れないとか、チケットを持っていても乗れないことがあるとか、大半の人が船酔いしていたとか、船がとても揺れるので乗客がパニックになって救命用具を我先にと求めていた、などと書かれていて、なんだか行きたいような行きたくないような不安な気持ちの中での参加となった。
船は夏季は1日3便あるが、冬は2便しかない。万が一を考えて朝一の便をネットで予約する。
当日は、時間に集合場所のThe Nelson Mandela Gateway to Robben Islandへ。
入り口にはしっかりとしたセキュリティーがあった。
私はそれほど余裕を持って到着できなかったけれど、早く着いたらビデオを見ながら待つことができる。元囚人一人ひとりにフォーカスした説明がされていて、少ししか見ることはできなかったが興味深かった。もっと早くくればよかったと悔やんだ。
船は2隻あり、スピードがあまり出ない船が先に出て、後から速い船が出航する。島への到着は速い船が先である。
しっかりした緊急時のアナウンスを聞いて逆にとても不安になる。真剣に話を聞く。
だけど海は穏やかで大して揺れなくて拍子抜け。
出発から25分ほどでロベン島に到着。着いた人からバスに乗り込み島内へ。
ここが島の入り口で、かつては収容者と面会人が会うことのできる唯一の場所だったらしい。面会場所では英語とアフリカーンス語しか話すことが許されなかったので、その他の言語使用者は30分の面会時間に言葉を発することはできず、触れることもできず、ただただ見つめあうだけ、という人もいたという。
島には野生のアフリカペンギンもちらほら歩いている。
ガイドさんの解説を聞きながらバスは島の奥へ進む。
島からはケープタウンが見える。ケープタウンまで7キロ。今までに4人が泳いで逃げ切ったのだそうだ。海流も速いのでさぞ大変だっただろう。(海流が早く脱走しにくいのでこの島に刑務所が建設されたともいわれている。)
島内にはマンデラを始め囚人たちが石を割る作業をしていた場所などが今でもそのまま残っていた。(囚人はやることがなかったので、石を割る、という仕事を与えられていた。もはや拷問である。)
さて、いよいよ刑務所の中へ。
刑務所のフェンスは二重になっていて、当時はその間に50匹以上のジャーマンシェパードが飼われていたという。
囚人たちが過ごしたのは60人部屋。60人で3つのシャワーと2つのトイレを共同で使っていたという。現在はガラスの窓があるが当時は鉄格子だけ。冬には10度を下回るが、ほぼ外と同じ気温の中で生活していたことになる。一人一枚の毛布。壁には盗聴器。盗聴器には毛布を掛けてしゃべっていたけどね、と元囚人のガイドは笑った。
囚人の服は人種によって異なっていて、黒人は半そで半ズボン、裸足。混血などは長ズボンに靴の着用も許されていたという。そして食事の内容も人種によって違う。刑務所の中でも当たり前のように差別があったのだ。
刑務所内は広く、説明を聞きながら皆でぞろぞろと移動する。
こちらはマンデラの部屋。ものすごく狭いし、ほぼコンクリートの上に寝ていると言ってもいいほどだった。
見学後は刑務所から船乗り場まで足取り重く移動する。同じ人間になぜここまでひどいことができるのか。前日に参加したタウンシップツアーでの出来事も思い出されて、暑くて良い天気なのに、気持ちはどんより曇り空、全く晴れる気配はなかった。もやもやしながら島を後にする。
しんみりしていたら後から出発した高速船がのんびり走る私の乗る船を追い抜いて行った。
もう少し待って早い船に乗ればよかったかも。
国内においてマンデラは人種や社会階層によって評価が異なるらしい。初日に車に乗せてくれた白人の南アフリカ人のおじさんにロベン島に行くことを言うと、そんな場所に行っても意味がない、と吐き捨てるように言われた。前日に行ったタウンシップツアーのガイドに、ランガの人はマンデラのことをどう思っているのかと聞くと、貧しい人ほどマンデラが嫌いだ、と言った。マンデラは政治参加への自由は与えてくれたけど、経済的な自由は与えてくれなかったということが理由らしい。
私の知るネルソンマンデラは、国内に住む黒人に特に愛されているイメージがあっただけにショックだった。でもそれほど国内の貧困問題は深刻で、南アフリカには制度的な差別はなくても、社会的な差別と社会階層の絶対的な固定化があるのだと思い知らされた。一度起こった社会の分断はそんなに簡単には修復できないということの証明なのかもしれない。世界的に貧富の差が拡大していると言われる昨今だけれど、その究極の形が南アフリカなのだと改めて感じた。