日本の部活動と精神論

私はあまり過去を振り返えらない。過去から学ぶことはあっても過去は変えられないからだ。でもそんな私が最近、高校時代の出来事について久しぶりに振り返った。

The Japan Foundation, Torontoの主催で Kokoyakyu: High School baseball という映画の観賞会が行われたからだ。監督に怒られながら、泣きながら、家族に助けられながら甲子園を目指す高校生のドキュメンタリー映画。それはがんばる高校球児と高校球児を取り巻く環境の美しさが強調されていたように思う。

もうずいぶん昔の話になるけれど、私は元剣道部でインターハイに行きたくて部活を基準に進学先の高校を選択した。でも精神修行の名のもとに公然と行われる陰湿なイジメや非科学的な指導、脅迫や恫喝や暴力や暴力や暴力。人間はストレスを軽減するために辛い過去を美化することができると聞くが、私はこの出来事をいまでも美化できていないし、これから先もできないと思う。これから先何があったとしてもこれほど辛い環境に身を置くことはないと思っているので、見方を変えればとても良い経験だったとは思う。でも当時の私は誰よりも剣道を強くなりたいと心から思っていたのに、意味もなく殴られることに耐えることで強くなれるとは思えず、毎日無駄なことに気を取られて過ごしている気がしてならなかった。怒鳴られ殴られることを避けようとするあまり、無意識のうちに自分の剣道スタイルは崩れ、怒られないための剣道をするようになった。それに意味を見出せなくなった時、私は部活を辞め、そして学校も辞めた。

そんな私なので、意味のないことにこだわりを持つ傾向のある部活動を目にした時、人一倍敏感に反応してしまう。

部活の位置付けは生徒それぞれによって違うので、意味のないことにこだわる学校があってもいいのかもしれない。部活動は学校教育の一環だからである。でも部活を目的に入学する生徒がいるような学校であれば話は別だ。みんな強くなりたくてその高校を選択しているからだ。

映画は言うまでもなく感動的な部分や良い部分しか使わないので、映画に登場する高校が実際に日ごろどのような指導を行っているかはわからない。でもその中で気になったのは、強豪校の監督が試合中の選手に対して「がんばれ」と言っていたことだ。しかもピンチの場面で。おいおい選手は言われなくてもがんばっているのだから、そこは具体的な指示を出すのが監督の役割ではないのか、と一人心の中でツッコミを入れると同時に、でもこれが部活動だったなと再確認した。

非科学的な精神論による指導。これのすべてが悪いとは言いたくないけれど、高校3年間を全力でささげている生徒にとってそれは悲劇だと思う。

そして私は強く願う。部活動の指導をする人が、精神論ではなくもっと科学に乗っ取った技術的な指導をすることを。部活動は生徒にとって多くの可能性を秘めた若い時期の3年間を捧げて行われるものだと理解することを。部活動はその生徒の一生を左右することもあり得るのだということを。

私の部活の同期で当時16年分の記憶を失ってしまった彼女は今どうしているだろうか。嫌だったことをすべて忘れ、明るくなったと噂で聞いたが、今は元気に過ごしているだろうか。部活動は時として取り返しのつかない影響を与えることがある。それを現場の指導者に自覚してほしい。

科学が進歩した2017年の今でも部活が原因で自殺をする生徒もいる。それは「精神修行」を今も行っているからだと思う。自殺する生徒の影には何人の生徒が隠れているのだろう。適切で健全な部活動運営がされることを心から願っている。

※写真は2016年にカナダ トロントにあるトロント大学で行われた剣道大会です。

 

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