支援は“してあげる”もの?

“Want to Help People Inside Syria? Help Us Load A Container”

というUOSSM Canada主催のイベント(ボランティア募集)をFacebookで知った。その瞬間、私はなぜだか直感的に参加することに決めた。場所は家から特急電車とバスを乗り継いで1時間、トロントの隣の隣の街、Yakvill。

参加することを留学生の友人たちに話すと、みんな否定的だった。友人の一人は言った「そんなことをしていると、またテスト前に寝られなくなるよ。14CADも交通費を払ってボランティアに行くなんて考えられない」。

考えてみたら、その彼の出身国はシリアに爆撃を繰り返していた。彼のこの受け答えが関係しているのかはわからないけれど、自国が大好きな彼は戦争や死というものの考え方がどこか日本人の私とは違っていると思えることがたまにある。

もやもやしながらも批判を軽く受け流し、私は一人で出かけることにした。

 

作業は簡単で、カナダとアメリカの医療機関から届いた物資をシリアに送れるものと送れないもので分別し、送れるものはパッキングをするというものだった。

医療機関から送られてきた物資の多くは使用期限があるもので、中には何年も前に過ぎたものも混ざっていた。今日から数えて使用期限が半年以内に切れているものであれば送り、それ以外、半年以上前に過ぎたものは破棄をする。多くのものを破棄しなければならず、心が痛んだ。

 

ボラアンティアにも関わらず、狭い倉庫には多くの人が集まった。定期的に行っているらしく、経験者の中から自然とリーダーが生まれる。

集まった人は白人と中東系の人。アジア人は私だけだった。中東系の人はムスリムで、お祈りの時間になるとちょっとしたスペースでお祈りをしていた。シリア国民の90%がムスリムなので、なにか関係がありそうだった。

小さな子どもも親に連れられて来ていて、作業としては完全な戦力外ではあるものの、社会勉強としてはとても良い機会のように思えた。

 

良く言われることだが、物資の供給には難しい問題がある、と実感した。何でも送れば良いというものではなく、送る側のモラルも問われる。きっとカナダやアメリカの医療機関は自分が働いている場所では使用できない使用期限切れの医療品を、物資が不足しているシリアなら使うだろう、と思っているのだと思う。実際に送ったなら、使用期限切れのものであってもシリアで使われるのかもしれない。でも、それで良いのだろうか。送る側が上から目線すぎるのではないだろうか。自分たちが使えるものを送る、となると金銭的に難しいのだと思う。だって自分たちが使えるのであれば、わざわざ送る必要などないからだ。でもいくらなんでも7年前に使用期限の切れた医療品を送るなんてシリアの人を軽く見ているとしか思えないし、シリアの人に失礼だと思ってしまう。

カナダやアメリカの人にだって自分たちの生活がある。だからあまり無理できない。でも、もう少し受け取る側のことを考えるべきではないのか、そんなことを考えてしまったボランティアだった。

 

今回送った物資が少しでもシリアの人の役に立ちますように。

そして早く世界から争いごとがなくなりますように。

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