モザイク国家での生き方

私のクラスは42人。ほとんどがカナダ生まれのカナダ育ち、または小さな頃にカナダに移民した人たち。ちらほらいる留学生の大半は自国に現地語がありつつも、小さなころから英語で教育を受けてきた人たち。純粋に英語が第二言語なのは、私を含めた5人くらいだと思う。

外見が100%アジア人で英語が思うように話せない私は、どこからどう見てもマイノリティだ。遠慮することなんて何もないのに、どこか遠慮してしまうことも多い。

そんな私は、移民2世の中国系カナダ人と、小さな頃に移民した韓国系カナダ人と一緒に授業を受けている。それは2人が私を気にかけてくれたのがきっかけだった。

ある日、中国系カナダ人が言った。「なんでこのクラスには3人しかアジア人がいないんだろうね。」と。それを受けて韓国系カナダ人は、「本当になんでだろう、普通はこんなことないのにね。」と少し残念そうに返事をした。そうだった。私たち以外にアジア人の外見をした人はクラスにいなかった。

2人の会話を聞いていて、不思議な気分になった。そしてわかったのだった。彼女たちはずっとトロントでマイノリティとして生きてきたのだと。

様ざまな場面でアフリカ系やアジア系が差別の対象になる、ということはよく聞くことで、そのことを私は知った気になっていた。でもこうやって日常会話の中で人種を意識することは初めてだった。私にとって彼女たちは他のクラスメイトと同様に「カナダ人」としてしか見ていなかったからである。だから彼女たちに何と言ったらよいのかわからなかった。それと同時に、彼女たちが私を気にかけてくれたのは、私がアジア人だからなのだな、ということも理解した。マイノリティはマイノリティで団結するのだ。

 

アメリカとカナダは似ている、と思っている人は少なくないと思う。一方で、最近のアメリカの移民政策の転換を受けて、移民が多い北米の国ということで比較されることも多い。

アメリカは「人種のるつぼ(お互いに同化して共通文化を形成する)」、カナダは「モザイク国家(様ざまな集団が融合せずに社会を構成する)」と一般的に言われる。

モザイク国家では、自分と他人は違うということが前提にあり、良く言えばお互いを尊重する、悪く言えばお互いに干渉しないし期待しない、という文化だ。

そんなモザイク国家カナダで、私は日本人としてカナダ社会にどんな貢献ができるのだろうか。日本人としての強みを活かすことが求められている。だって、どんなことをしてもカナダ生まれの白人にはなれないのだから。

 

※写真は学校近くの日本人経営のパン屋さん。日本人らしい穏やかな笑顔での接客と、繊細な味のパンが魅力。地域の人たちに愛されるパン屋さん、私も常連のひとり。

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