NYの夜のハーレムにゴスペルを聴きに行った私。私はそこで初めて銃声を聞く。「私とNYの最悪な出会い(2009)」の後篇。
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私はなにが起こったのか全く理解できなかった。パンという音は爆竹が鳴ったような音だったので、それが銃声だなんて想像できなかったのだ。安全な場所で育った私は「銃声」という選択肢が頭の中になかった。警官が取り押さえに入ったはずなのに、なぜだか銃声が引き続き鳴り響いている。周りの人が「Go inside! Go inside!」と叫び逃げ惑う中で、今の音は爆竹ではなく銃声であることにようやく気が付いた。そして、そうか銃声から身を守るには建物の中に逃げ込む必要があるのだな、とやけに冷静に思ったのだった。そして近くにいた人の後について逃げる。幸運なことに逃げた先は教会だった。教会の入り口にはアフリカ系の大きな警備員さんが3人もいて、この中だったら安全そうだった。
気を落ち着かせながら教会の席に座る。周りは全員アフリカ系。アジア人の私は間違いなく浮いていた。まだゴスペルは始まっておらず、神父さんが何かを話している。外では引き続き銃声が鳴り響いているのに、教会の中はいつも通りといった感じだった。入口を一つ隔てただけなのに、ここまで違う世界が拡がっていることに驚いた。この教会に避難できて本当に良かったと思った。でもそんな心の平穏は長くは続かなかった。
お祈りしている人の様子がなんだかおかしい。しばらくすると、一部が「ジーザス!」となんだかすごい勢いでお祈りを始めてしまった。今思えばそこまで驚くことでもないのだが、当時の私は今の私と比べてもかなりの無知。何かに取りつかれたかのように神に祈りを捧げる人たちを目の前にして、私はひどく困惑した。目の前の人たちが何をしているのか全然理解できなかったからである。神に祈りを捧げながらどこか他の場所に行ってしまったような感じだった。異教徒、仏教徒の私がこんなところにいることがばれたら、大変なことになるのではないか、と本気で心配になった。回ってきた籠に寄付のお金を入れる。少しでも周りの印象を良くすることに必死だった。
教会の外ではまだまだ銃声が鳴り響いていて、教会から出ることもできない。神を信じている人たちの集まりだろうから、きっと教会内で殺されることはないだろう、でも礼拝のプログラムがすべて終わってしまったらどうだろう。私はこの教会から追い出されるのだろうか。銃声が鳴り響いている場所にタクシーはこないはず。そうなると私は宿まで移動することができない。考えれば考えるほど心配になり、私はここで死んだらどうなるだろうか、と考えを巡らせ始めたのだった。
聴きたかったゴスペルは確かにすごい迫力だったような気がする。でも死ぬかもしれないという状況では全く楽しめず、8年経った今、ほとんど記憶に残っていない。
幸い礼拝のすべてのプログラムが終わるころには外の混乱は収まっていた。教会の入り口の警備員さんにタクシーを捕まえたい旨伝えると、交通整理をしている警官のところまで連れていってくれた。でも警官がタクシーを止めてくれた、と思ったら白タクで、乗ってからも安心できず緊張状態が続く。なんで警官は白タクの後ろにいたイエローキャブを停めてくれなかったのかと恨んだ。それでも無事にホステルに帰ることができ、事なきを得た。
翌朝、気を取り直して自由の女神を見に行こうとホステルの前で信号を待っていると、反対側でまたしても殴り合いのケンカをしている、超重量級高齢白人男性とマッチョな若いアフリカ系男性を見つけた。そのうち、パンチが入って白人男性はバタっと倒れたが、アフリカ系男性は気絶している白人男性を蹴り続けた。地下鉄の駅に行くにはその信号を渡らなければいけなかったので、私は白人のおばちゃん集団に紛れて横断歩道を渡って彼らを通過した。
この先一週間NYに滞在する予定だった私は、初日と2日目のこの経験から行き場のない不安に襲われた。今すぐにでも日本に帰りたかった。でもそんなわけにもいかない。そして自分の身は自分で守らないといけない、守るしかない、ということを強く感じたのである。
こんなNYとの出会いをしてしまった私なので、先日 NYに滞在するまで、ずっとNYのイメージはあまりよくなかった。でも今回のNY訪問でずいぶんNYの印象が変わった気がする。結局、その場所で何を体験するかでその場所の感じ方も印象も変わるのが旅なのだと思う。だから東京でもクアラルンプールでもトロントでも私を訪ねてきてくれた人には、その場所を好きになってもらえるようにご案内してきたつもりだし、これからもしていきたいなと思う。
→→あとがきへ続く
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