今ここで死んだら「無知な日本人がNYで死んだ」と日本で報道されるのだろうか、私の両親は無知な私を育てたとしてバッシングを受けるのだろうか、もしそうなったら申し訳ない。いやまてよ、そもそも私が死んだことはちゃんと日本に伝わるのだろうか。パスポートを今持っていてよかった。私が死んだ時にはこのパスポートを誰かが確認してくれるに違いない。私はきっと日本に帰ることができる。
2009年大学4年生だった私は夜7時半のNYのハーレムで銃声を聴きながら色々なことを考えた。この時、何事もなくて本当に本当によかったと思う。日常生活はもちろん、旅をする時に周りに笑われるほど「安全」に気を配るのは、この経験がベースになっているような気がする。
NYでゴスペルを生で聴きたかった私が、NYに着いたのは日曜日の午後。ゴスペルは日曜日の午前の礼拝で行うのが通例なので、直接聞くのは無理だと思っていた。でも見つけてしまったのだ、雑誌の端っこに書かれた「日曜日夜の礼拝でゴスペルをやる教会」を。当時はスマホもwifiもなく、自分で調べるには限界があった。そこで泊まっていたホステルの受付のラテン系のお兄さんに聞いてみた。「今からハーレムのこの教会にゴスペルを聴きに行こうと思うのだけど、危険かな?」と。そうしたら、お兄さんは笑いながら「危険なわけないだろ~!でも時間がないから電車じゃなくてタクシーを使った方がいいよ。タクシー、電話で呼んであげる」と言い、タクシー会社に電話してくれた。
でもタクシーは待っても待ってもやってこない。時間がないので仕方なく流しのイエローキャブを捕まえて乗りこむ。運転手さんは白人女性。行き先を告げるとひどく驚かれた。「何しにそんな場所へ!?もうあなたを乗せてしまったから行ってあげるけど、私はあなたを降ろしたらすぐに戻ってくるわよ。帰りは教会から出たらすぐにタクシーに乗りなさい。絶対に歩いちゃだめ。」受付のお兄さんとは正反対の事を言われ、困惑した。引き返そうかとも思ったが、せっかく行ってくれるというのでそのまま向う。
途中からアフリカ系の人しか窓から見えなくなってきた。不思議な光景。しかもなんだか外はざわざわしているように見える。交通整理をしているような警官も多い。ハーレムでは警官もアフリカ系なんだなとか、警官が多いなら安全か、と無知すぎる私はそんなことを考えながらタクシーを降りた。タクシーは私を降ろすと一瞬にしていなくなった。その時、彼女は本当にこの地区を恐がっていたのだと知った。彼女は私を脅かしていたわけではなかったのだ。道を歩いている全ての人はアフリカ系。街灯も少なく薄暗くて目的の教会が見当たらない。教会の前で降ろしてと言ったはずなのに、とタクシーの運転手さんを恨んだ。近くの警官に道を尋ねるも、邪魔だ、と相手にしてもらえない。
そんな時 「パーン」 と乾いた音が辺りに鳴り響いた。一瞬静まりかえった後、警官が一斉に道路の反対側にいた一人の男性に向かって走り出した。辺りは大混乱となった。
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続きは後篇で。
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