ブログのアクセス数をみていると面白い。トピックごとに全然アクセス数が違うからである。日本人は残業という単語に敏感らしい。私も残業残業の日々を過ごしてきたのでわからなくもない。今日は日本の残業について他国の友人がどのように思っているのかいついて書いてみようと思う。
まだカナダに来て間もないころ、自国での労働環境についてルームメイトと話す機会があった。彼女はkaroshi(過労死)という言葉を知っていて、日本人の労働時間の長さについて興味深々。私に色いろと質問してきた。
私を含む私の周りではかなりの長時間労働を強いられている友人が多かったのでそのことを話すと、友人は「でも日本人って労働時間は長いけれど、時間当たりの生産性は低いんでしょ?それってハードワーカーなんじゃなくてロングワーカーなだけじゃん」と理解できないといった顔をして言った。この時、なんだか今までの自分を全否定されたような気がして、とても悲しい気持ちになったのを覚えている。
(※「労働生産性の国際比較」というのが元のデータだと思う。この数字についてはどこまで信憑性があるのか疑問視されることもあるが、このデータを基にすると日本人の労働生産性は低いことになる。)
私はやや言葉に詰まりながらも、残業代を稼ぐために残業をする人もいるとは聞くけれどそれは一握りで、一生懸命働いても仕事が多すぎて結果的に残業になってしまうことがほとんどなのだ、という説明をした。でもなんだか自分の答えに完全に自信が持てなかったのも事実で、はたして私は全力で時間内に業務を絶対に終える、という気持ちで仕事をしていたのだろうか、という疑問を持たざる負えなかった。私がお世話になっていた会社は、その業務内容も影響してか残業が前提の職場だったからだ。
私は早く帰りたいと思いつつも、残業をしないと業務は終わらないものだ、とどこかで考えていたのかもしれない、と今となっては思う。もちろん一番忙しかった時には、2人分以上の業務を割り当てられていたと思うし、通常の2倍以上の時間を働いた。
その時身に付けた知識や考え方が今の職場でも生きていると感じることができているので、今となっては良い経験だったと言いきれるけれど、当時は身体がとても辛かった。だからもっと違う仕事の仕方や時間の使い方ができたのではと今になって思ったりする。
さて、このように思うようになったのは今の職場で働き始めてからである。前回書いた通り、私は月曜日の夜に予定があるので、月曜日だけは絶対に残業できない。そうなった時、ものすごい集中力を発揮するのである。ラスト一時間半のスパートは自分でも褒めてあげたいほどだ。
そう考えるともちろん仕事量は影響するものの、残業をどれだけ短くするのかは自分次第なところもあるような気がしてくる(もちろんそうではない場合もある)。
残業をしなくなったら仕事帰りに予定を立てるのではなく、予定を立てるから残業がなくなることもあるのかもしれない。とまぁ、こんなことをカナダから言ってもどれだけの人が賛同してくれるかわからないけれど、それでも私はそう思うのである。
今日も仕事終わりにのんびりブログが書けているこの状況に感謝しつつ、明日もがんばろうと思う。