日本で生活するなんて全く考えていなかった私が、新型コロナのために帰国し定住したことで、得たもの失ったもの、良いこと悪いこと、色いろあった。
でも、このタイミングで帰国できたことは良かったのではないかと思っている。祖父母の最期に立ち会えたからだ。祖母は2020年4月に、祖父は2021年1月に亡くなった。
生きる、という普段あまり考えてこなかったことを、この10ヵ月間で2回も考える機会を得たのだった。
先日亡くなった祖父は89歳だった。日本男性の平均寿命81.41歳と比較するとすいぶん長生きだったことがわかる。祖父はなぜか早死にすると信じていて、定年退職した頃から「これからはおまけの人生だから」と言って、趣味に没頭していた。今思えばそれが長生きに繋がったのかもしれない。
日本人女性の平均寿命は87.45歳らしい。私は何歳まで生きるのだろうか。
そんなことを考えている時に、私はふと気が付いてしまった。仮に健康で祖父と同じくらい、90歳まで生きるとしても、現在30代の私はすでに3分の1以上の人生という時間を使ってしまっているのだと。普段、死というものをいかに意識していないか、を自覚し嫌になった。なんとも言えない焦りを感じ、日々の生活を見直す必要があると思った。
また、祖父の最期について親族と言葉を交わす中で、色いろな価値観に触れたことが興味深かった。
- 眠るように亡くなって、苦しまなくてよかったね(祖父は老衰だった)
- みんなに見守られて最期を迎えられてよかったね
- 最後まで自分で意思決定できた人生でよかったね
確かに上記3つはどれも良かったことであることに間違いないが、一人が何度も同じことを言っていることを考えると、自分の最期には苦しみたくない、とか、みんなに見守られて最期を迎えたい、と言ったことが、その親族にとって一番大切なことなのではないかと思ったし、実際のその親族の普段の様子を見ていてもリンクしているような気がした。
ちなみに、私の発言は3番目だ。私もできることなら苦しみたくないし、一人で死ぬよりは見守られて死にたい、とは思う。でも、それ以上に自分で意思決定できない状態で生きることを好まないのだ、と自分が無意識の中でした発言を振り返って、改めて気が付かされたのだった。
残りの人生の3分の2をいかに生きていくのか、自分の望む最期を迎えるにはどうしたら良いのか、後飾り祭壇に線香をあげながら、考える。