社会制度や社会構造は、良い面もあれば悪い面もあって当然だと思う。人によって立場や状況が違うので、ある人にとっては良い制度でも、ある人にとっては悪い制度になり得る。だからすべての人にとって良い制度なんてあり得ないのである。
私はこのブログを書くにあたって、カナダと日本という地理的にも国民性的にも異なる2つの国のことを、比較はしたとしてもどちらかを批判するようなことはしないように気を付けている。どちらかを批判することは簡単だけれど、そんなに単純なものではないからだ。
こんなことを再度考えるきっかけになったのは、前回の記事を書いた時にFacebookでもらったコメントだった。前回の記事で、カナダでは試用期間中に即日解雇される場合がある、ということを書いたのだけど、コメントをくれた方は、カナダのような試用期間中の即日解雇に賛成の様子だった。私も会社が給与を支払っている以上、その給与に見合った働きをしない人を雇用する義務は会社にないし、解雇されても仕方がないと思っているので大筋では賛成である。でも今回の解雇の前後の周りの反応を見ていると、そんなに単純なものでもないような気がしてきた。
論理的には解雇されて当然なのだけれど、解雇が自分ごとになった時、自分ごとになり得る可能性がある時、人はどれほど不安になるのか、ということを考えさせられたからである。
今回、真面目に働かない彼女が本契約されないというニュアンスの話がマネージャーから出た時、同期入社の私たちの間では結構な衝撃が走った。でも、彼女の会社への貢献度合いを考えると妥当だし、私たちが彼女の仕事をフォローしなくて済むから良かった、という空気も同時に流れた。誰ひとりとしてそれを口に出すことはしなかったけれど。
正直なところ、私は彼女が解雇されるのはむしろ遅すぎると感じていたし、真面目に働いて会社に貢献していると自負している私は、自分の身に起きるかもしれないということを全く考えなかった。だから私は何も自分自身の契約について心配をすることはなかった。
だがしかしである。それを聞いた一人の同僚は心配し始めたらしかった。私からしてみるとなぜとても真面目な彼女が不安になったのかわからないのだけど、心配するあまり色いろ調べてしまったらしく、来月の業務の割り振りが自分だけ少ないことに気が付いてしまったらしい。そして解雇されるに違いないと思うに至ったのだと言う。
私は連休中だったので知らなかったのだけど、彼女は同僚にその不安を打ち明けていたらしい。私も試用期間の最終日、連休明けに出社すると、彼女の様子が明らかにおかしいことを気が付いた。
マネージャーの予告通り、同僚の一人が本契約にならず、勤務時間中に会社を去った後、マネージャーから彼女の解雇の理由とこれからの予定について話をされて、本契約となった彼女はホッとした様子だった。でもマネージャーが会社に貢献していない彼女の契約打ち切りを匂わせ始めた2週間半くらい前から、結果的に本契約となった彼女はとんでもない不安を感じていたのだと思うと、一人の解雇は解雇される一人だけでなく、会社、チームの中で大きな影響を与えるのだということを実感した。
私のようなとても鈍感な雇用者や、圧倒的に仕事ができる雇用者を除いた、大多数が位置する中間層は、パフォーマンスの悪い下位層の契約解除を目にすると、とても不安を覚えるのだということを、彼女を見ていて痛いほどわかった。
雇用主からしてみれば、それで中間層もよりがんばってくれれば良い、ということなのかもしれないけれど、なんだか精神衛生上とてもよくない状況のように思えなくもない。だから私はこのカナダの制度を手放しで肯定することはできない。
とはいっても、カナダでは日本より転職が一般的なので、彼女のように契約更新をされなくても、履歴書に傷が付いて次の仕事が見つからない、ということには日本に比べてなりにくい。また、試用期間中には雇用者も即日退職ができるので、雇用主と雇用者は対等だと言えなくもない。
社会制度というか社会構造とはなんとも難しいものだ。様ざまな立場の人にとって良いものになるということはない。
でもどんな社会の中で働いたとしても一つだけ言えることがある。会社にきちんと貢献して代替え不可能な人材になれば雇用され続けるということだ。代替え不可能な人材であれば解雇されるリスクは低いし、仮に何らかの理由で解雇されたとしても他の会社で雇用されるだろう。社会構造を変えることは自分一人ではできないけれど、自分次第で雇用契約に怯えることなく雇用者として働くこともできるのだ。結局は自分次第なのかもしれない。
こんなことを自分で言っておいて解雇されたら笑えないので、私も代替え不可能な人材になるべくがんばります。