もう遠い遠い昔の出来事に思えるのだけど、昨年末に「Nature is everywhere – we just need to learn to see it」というTEDTalksの翻訳に挑戦したのだった。TEDTalksが好きだったというのはもちろんだけど、当時、時間があったので何かやりたかったということ、履歴書に何か新しい記録を作りたかった(カナダではボランティア経験も書くことができる)、というちょっと不純な理由から翻訳することに決めた。だからテーマについてあまり吟味することなく決めてしまって、途中で少し後悔した。トークの内容がピンとこないのだ。わかることであっても翻訳するのは難しいのに、全然知らない分野の翻訳をするなんて、私には大仕事だった。もっとテーマを選べばよかった、と途中心が折れそうになりながら思った。ネットで検索して、理解して、訳を考えていく。20分のトークが永遠のように感じられた。案件を獲得してから1ヶ月という納品期限に対し、残り3時間でどきどきしながら納品したのを覚えている。
このトークは身近なところにある自然について言及していて、その中にNYの「ハイライン」が出てくる。ハイラインとは廃線の高架部分を再利用した約2.3kmの公園だ。以前書いた通り、私は最近までNYに良い思い出がなかったし、興味もなかった。ましてやNYにあるハイラインなどと言われても何のことだか分らなかった。だから当然ネットで検索して、訳を書いた。
そんな数ヶ月前まで全く知らなかったハイラインを今回歩くことができた。きっかけは龍に会った帰り、道に迷っていたところにハイラインが現れた、というだけなのだけど、見た瞬間に調べたハイラインのことを思い出し、興奮した。あぁ!これ知ってる!って。懐かしい気持ちになった。次の待ち合わせの時間が迫っているにも関わらず、迷わず階段を上った。
想像以上に素敵な空間だった。綺麗な夕日を見ながら家族で、夫婦で、恋人と、友人と、みんな大切なだれかと一緒に散歩をしているようだった。一人での旅に慣れていて、レストランでもどんなところでも一人で平気な私でも、誰かが隣にいてくれたらよかったのに、と思わずにはいられない数少ない場面だった。NYに住む人の幸せな日常の光景が拡がっているような気がした。
私がTEDTalksであのトークを選ばなかったら恐らく訪れなかっただろうと考えると、このハイラインを知ることができただけでも翻訳したかいがあってのかもしれないと思う。出会いはどんなところにあるかわからないものだ。
年を重ねるごとに、興味のある部分に偏りが生まれてくる気がするけれど、たまには全然興味のない分野について調べたり考えたりするのも、自分の世界を拡げてくれるという意味で良いことだと思う。興味は知識があるから生まれるもので、知識がなければ興味は生まれないからだ。
そう考えると、様ざまな分野の専門家がスピーチをするTEDTalksの翻訳は誰かのトークの理解を助ける機会になるだけでなく、翻訳者自身にとってもとても良い機会になると思う。
多くのことがそうであるように、良い機会を与えてくれることは、同時になかなか大変なことでもある。だから最近の私のスケジュールで翻訳をすることはなかなか気が進まない。2本目をやろうやろうと思い始めてしばらく経ってしまっているけれど、また近々チャレンジできたらいいなと思っている。
TEDTalksの翻訳は簡単な審査?はあるものの、広く翻訳者を募集しているので、興味がある方は挑戦してみてはどうでしょう?詳しくはこちらから。