文化が言葉を作り、
言葉が文化を作っているのだ、と思う。
以前、
近い将来コンピュータが翻訳してくれるようになるから
今から言語を学ぶ必要はない、
と日本語だけ話す日本人は私に言った。
一方で、
複数の言語を話せることは
自分にとって大きな財産だと思う、
と4カ国語を操る日本人は私に言った。
前者の意見を聞いた時は
違和感を感じながらも特に反論はしなかった。
でも今ならそれは違うのだ、
ということを自信を持って説明できる。
言葉はすべてと繋がっている。
言葉を学ぶということは
文化や歴史を学ぶことでもある。
いくら精巧な翻訳機が開発されて
日本語が”正確に”翻訳されたとしても
なぜそのように言っているのか、
という文化の部分は翻訳に現れないだろう。
———
トロントに来て間もないころ、
家探しをしていて
mature student welcome!
といった書き込みを度々目にして
どんな意味だろうか?と不思議に思っていた。
日本語に直訳すると、
「大人な学生」である。
しばらくして
高校を卒業してすぐに大学生になった以外の学生を
指すということがわかった。
日本語にはこれを指す単語はない。
そもそも、そんな単語は必要ないのだ。
基本的に一度就職したら
フルタイムの学生に戻ることはないし、
学生になる人の多くの人は社会人をしながら学生をする
「社会人学生」になる。
カナダでは会社を辞めて再度学生になることは
まったく珍しいことではなない。
だから、この言葉が生まれたのだ。
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カナダに来て一度だけ
多くの日本人がいる食事会に参加した。
敬語でのあいさつに始まり
お互いに年齢を探り合い
時には直接年齢を確認し
年齢がわかった瞬間から対応を変える…
英語で会話をしていたら、
このようなことは起こらないだろうな、
ということがたくさん起こっていた。
日本人がシャイでフレンドリーでないのは
日本語を使っているからなのだろうな、と思う。
日本の文化は日本語によって作られているのだ。
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だからやはり複数の言語が理解できることは
大きな財産になるのである。
そう自分に言い聞かせながら、
mature student として
私は今日も英語と格闘するのであった。