4年ぶりの日本でのクリスマス。キリスト教徒ではない日本人がクリスマスをお祝いしていることに何となく違和感を覚えるのは、クリスマスをお祝いする習慣のない友人と、トロントで時間を共有してきたからなのだと思う。
昨日、Yahoo Newsを見ていたら「クリぼっち」とう言葉を見つけた。そうか、日本ではクリスマスを一人で過ごすことが寂しいと認識されているのだ、ということを思い出した。
確かにカナダのキリスト教徒は家族と過ごすことが恒例のようだし、祝日でもあるのでキリスト教徒ではなくても家族で過ごす人が多い印象だ。だからその中で一人で過ごすのは寂しいのだと思うが、キリスト教徒でもなく普通の平日なのに、一人で過ごすのが寂しいものとされ、この言葉が普及しているのは不思議で仕方がない。
トロントの私の周りには様ざまな国や宗教の友人たちがいた。
ロシア出身の友人はクリスマスを知らず、「クリスマスっていつなの?26日?クリスマスイブって何?」と聞いてきた。ロシアはロシア正教なので、クリスマスは1月7日にお祝いするらしい。仏教徒の日本人がお祝いすることを知ると、「なんで?」と全く理解できないという顔をしながら質問してきた。
中国出身の友人は、クリスマスは知っていたようだが、特にお祝いをする習慣はないらしく、私には特に関係ないという雰囲気だった。「カナダは祝日でお店が閉まって不便よね」と言っていた。
イラン出身の友人は、クリスマスだからといって特別なことはしないらしかった。「クリスマス?あぁ、祝日のね」と特に何も気にしていない様子だった。イランの国教がイスラム教なことを考えると当然だった。
というわけで私は、中国の友人と普段と変わらないチャイナタウンで買い物をしたり、イランの友人たちと羊の脳みそを食べてクリスマスを過ごしたりした。つまり、日本的なクリスマスを過ごすことはなかった。
キリスト教徒が約80%のカナダにいたのに、日本にいる時よりクリスマスらしくないクリスマスを過ごしてきた私は、クリスマスに対する思い入れが全くなくなってしまった。
東京で過ごす今年のクリスマスの前には、友人に誘われシュトーレン作りに参加した。東京でドイツのクリスマスの食べ物を作ることは、それこそ不思議な気がしたけれど、想像以上に美味しくできたので満足だった。
キリスト教徒の方もそうでない方も、Happy Holidays!
(※カナダではキリスト教徒でない人に配慮してMerry Xmasではなく、Happy Holidaysと言ったりする)
今までのクリスマスの思い出。
- 中国人とチャイナタウンで過ごしたクリスマス(2017年)こちら
- イラン人と羊の脳を食べたクリスマス(2018年)こちら
- カナダ人とツリーを切りに行った、一番クリスマスらしいクリスマス(2019年)こちら