NYと私の最悪な出会い(2009) 前篇・後篇を書いて、色々な人から反応をもらって、旅における「安全」ってなんだろうかと今一度考えた。
「安全」に過ごすにはどうしたら良いかを考えるより、どうすれば「危険」をすばやく察知して回避できるのか、を考えることが旅では大切だと思っている。日本も含めて世界中どこを探しても絶対に安全な場所などない。普段は安全だと言われている場所でも危険なことは起こり得る。
私は海外旅行で危険な目にあったり、トラブルに巻き込まれたりすることは、とてもダサいことだと思っている。だからこのNYの話も今までほとんどしたことがなかったし、今回書くかどうか少し迷った。でも最近、周りで旅人の武勇伝のようなものを聞いて、武勇伝で済んでいるうちに、危険を回避する能力を身に付けた方がいいよ、と言いたくなった。要するに書くことに決めたのは、ただのおせっかい心からきたものだった。本当に人間はちょっとしたことで死ぬかもしれない状況に直面することがある、ということをお伝えしたかったのだ。
NYでの私の行動はなんとも軽率で恥ずかしい限りだ。まず事前リサーチが足りなかったし、現地での情報は複数の人から得るべきだった。それに、行く前に地図を手に入れるべきだった。
でも一つ弁解すれば、後日夜のハーレムが危険かどうかネットで検索してみたけれど、多くのサイトで危険はないと言っていた。前年2008年にNYに留学していた友人は、昼間のハーレムに行ったけど、なんの危険もなかったと言って驚いていたし、半年間の留学で一度も銃声を聞かなかったと言った。だからもしかしたら私が経験した出来事はハーレムの中でも特別なことだったのかもしれない。だから私が到着した時にはすでにたくさん警官が道にいたのだ。ある意味避けられない経験だったのかもしれないけど、それでもまだ危険を回避するためにできたことがあったように思う。
海外でトラブルに合う人は繰り返し合っているような印象を受ける。それはどこに旅に出たのかが原因なのではなく、彼らの行動が原因になっているからだと思う。騙されたり、スリに合ったり、脅されたり、無くし物をする人は大抵トラブルをセットで受ける。
騙しなどの犯罪を肯定する気は全くないけれど、騙されるのは騙される方にも原因があるのだと思う。騙されるだろうと騙す人に判断されてしまうような振る舞いをしていた、ということなのだ。だからどこの国では騙されたから嫌な国だ、などと言う人を私は肯定することはできない。自分の身を自分で守れなかっただけだからである。(国によって騙される割合が前後することは間違いない事実ではあるけれど。)
一人旅をしていると日本人に出くわすことも少なくないが、私はひと目で日本人だと判断することができる。そして私は日本人でないようなふりをする。日本人であるとわかられたら騙されるかもしれないと思うからだ。そんな私は海外では100%中国人に間違えられる。それが良いのか悪いのかはわからないけど、私は安全に旅ができている。
世界各国でテロが起き、安全な場所などないという今、危険やトラブルの事前回避と、それらに直面した時にいかに速やかに回避するか、が大切だと思う。航空券が安く手に入る時代。気軽に海外に行けるからこそ、安全に旅を楽しむ日本人が増えればいいなと思う。
私も引き続き危険回避能力を高めて、安全な日常生活や旅を楽しんでいきたいと思う。
※2017年NYの街には大きな銃を持った人がたまにいる。銃が必要な場所だということに少し驚き、ますます危険を回避することが大切なのだと思うのだった。
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