今日、6月7日金曜日はオンタリオ州の選挙だ。とはいっても私には選挙権がないので、何もできることはない。日本の選挙の時には積極的に調べたりするが、投票権がないとそこまで調べる気も起きないのだ、ということに気が付いた。
それでも外を歩けば選挙のポスターや看板が設置されているし、ポスターで埋め尽くされた選挙事務所を目にすることもある。YoutubeやFacebookでは政党の広告が流れる。新聞やYahooのトップニュースも、もちろん選挙のことを伝えている。でもカナダでは選挙カーでの演説も、駅前での演説もないので街中は静かだ。だからだろうか、日本人で元うぐいす嬢の私の感覚だと、選挙の前という雰囲気はあまり街中から感じられないような気がする。
投票の勝手も少し日本と違う。日本にも期日前投票があるが、オンタリオ州の場合はなんと約一ヶ月もある。今回は5月10日からだったようだ。選挙日が金曜日なんて、と驚いたが、それも納得である。金曜日に投票できない人は期日前投票をすれば良いのだ。
5月28日に行った日系カナダ文化会館でも期日前投票をやっていた。見ているとぽつぽつと投票に来ている人がいた。月曜日のお昼頃だったので、お年寄りが多かった印象だ。その他には郵送でも投票できるらしい。投票方法に興味がある方は、オンタリオ州のサイトを見ると面白いかもしれない(こちら)。
報道をちらりと見るくらいで私は全く詳しくないが、今回はリベラルではなくコンサバティブ政党の勝利が予想されている。世界的に保守寄りの選挙結果が出ている昨今だが、ここオンタリオ州でも例外ではないらしい。
選挙結果は永住権や市民権の取得を希望している人たちに大きく影響を及ぼす可能性があるので、私の周りではカナダ政府のリベラル政権が終わるまでにそれらを取得しなければ、という話をしたりする。政権交代は人の人生を変える可能性を秘めているのだ。(今回はオンタリオ州の選挙なので直接永住権や市民権の取得には影響しない。)
日本では政治が直接日々の生活に大きく影響を及ぼす、ということを実感しにくいらしく、選挙に行かない人も多いようだが、最近、色いろな国から来た友人たちと話す中で政治の重要性を実感せずにはいられない。
前回のエントリーでも書いた通り、私は最近イラン出身の友人たちと仲良くしているが、彼ら彼女らはイラン国籍だから、という理由で時としてとても不自由な生活を送っているし、イランは政治のせいで人材不足に陥っているのだろうな、と私は予想している。
友人の一人は、アメリカで行われるカンファレンスのスピーカーとして招待されていたにも関わらず、イラン国籍というだけでビザが下りず、参加できないと言っていた。トランプ政権が始まってから、基本的にイラン国籍の人はアメリカの地を踏むことはできない。アメリカに既に住んでいるイラン国籍を持つ彼らの友人は、アメリカから一度出るとアメリカに戻れない可能性があるので、アメリカの外には出られないのだとも聞く。
また、イランの一番レベルの高い大学で学んだほとんどすべての学生は、卒業と同時にイランを出て海外で生活を始めるのだそうだ。結果として、イランに優秀な人は残らなくなる。
私はイランの政治に詳しいというわけでは全くないし、政治は歴史や地理的条件や他国との関係性に影響されるので、一概にイラン政府だけを批判することはしないが、今までの政治の結果が、彼らの国際的な立場を脅かしているということは間違いないと思う。
日本人が今、世界でそこまでの差別もなく生活でき、パスポートランキング1位、などと言われるのは、日本の政治がそれなりに上手く行っていることが起因しているわけで、その環境をキープするのも上昇させるのも、下落させるのも、結局は政治次第なのだと思う。
だから投票にいかなければいけないのだ、と私は常々思っている。政治は人々の生活を変える力があるのだから。
でもまぁ今日は、そんなことを言っていても仕方がないので、オンタリオ州の選挙結果を静かに見守ることにする。
※と朝書いたら、夜にはコンサバティブ政党、PCが勝ってました。