無印良品で「コオロギせんべい」を見つけた。昨年の発売開始後にすぐ売り切れた商品だということを思い出し、買ってみることに。
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コオロギせんべい(190円)
帰宅して早速食べる。コオロギは粉末状になっているし、なんてことはない「普通」のせんべいだった。少し不思議な後味のせんべい。意識しないと「コオロギを食べている」ということを忘れてしまう。
でもそれは考えてみると当たり前だ。エビせんべいをエビを意識しながら食べることがないのと同じである。
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「普通」のコオロギせんべい
コオロギせんべいを食べた数日後、食卓に「毛ガニ」が並んだ。よく見るとかなりグロテスクに思える。もしかしたら見た目はコオロギより気持ち悪いかもしれない。コオロギは粉末であっても食べている間に色いろと考えてしまったのに、見た目がはっきりわかる毛ガニを何の抵抗もなく食べている自分が不思議に思えてきた。
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解体後の毛ガニ。どう考えても「毛」が気持ち悪い。
カナダの学校の授業案(中学1~2年生用)の中に、「価値観とは何か」について教えるものがあることを思い出した。
その資料には、このように書かれている。
- 私たちの価値観は、直接教えられたものもあれば、周りの世界を見て無意識に吸収したものもある
- 価値観は、家族・友達・仲間・宗教・メディアから形成される
コオロギが「ゲテモノ」で毛ガニが「食べ物」という価値観は、周りの世界を見て無意識に吸収したものであり、家族・友達・仲間・メディアからの影響を大きく受けているのだと思う。
結局のところ、なんとなく社会的に「コオロギは食べ物ではない」と言われていたので食べないし食べることに抵抗を覚えるのであって、そこには絶対的な理由や合理的判断はない。
例えば、テレビでコオロギを食べることが罰ゲームではなく、ご褒美として取り上げられたり、アイドルが美味しそうに食べていたり、コオロギを食べることがステータスのようになったら、コオロギの食材としての社会的地位が毛ガニレベルに上がる可能性は十分にあり得ると思う。
あとは、個人的に「コオロギ」という名前があの昆虫のコオロギを連想させてしまうと思うので、「エスカルゴ」に倣って、食用コオロギはフランス語で「グリヨン」とでも呼べば良いのではないかと思っている。英語のクリケットという名前だとまだコオロギを連想してしまう人が多いような気がするので、あえてオシャレなイメージがあり日本人に馴染みのないスランス語にするのがポイントだ。
と、こんなことを考えなくても、食料危機から否応なしにコオロギをはじめとする昆虫を食さないと生き延びられない未来が来る可能性もある。いずれにしても人間の価値観なんてあってないようなものなので、代替え案があれば人間は都合よく順応し、しぶとく生き延びていくような気がする。
ANTCICADAのような昆虫食レストランが流行る未来は近いのかもしれない。
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無印良品HPから
“コオロギと毛ガニと価値観” への1件のフィードバック