似ているけれど違うもの

本物と似ているけれど少し違うものは日常に溢れている。しかも少し違うことを認識せずにそれが本物だと思い込んでいる人も多いような気がする。そんなちょっと違うものを本物だと思いこむ人が多くなりマジョリティになると、それが本物もしくは本物の進化系として認知されるのだと思う。

その例がカルフォルニアロールな気がする。本物の寿司ではないけれど、海外ではカルフォルニアロールが寿司だと認知されている。日本の本物の寿司を知っている私としてはなんとも不思議な気分になるけれど、カルフォルニアロールしか知らない人は日本のお寿司を寿司だと認識しない可能性だってある。

私は日本育ちの日本人なので、やはり日本のものと似ているけれど少し違うものについて気になってしまう。カナダでは本物なのかどうかなんてきっと誰も気にしていないだろうが、私は気になる。

この間ダウンタウンのスタバにいたら頭にお箸を付けている人がいた。柄からして明らかにお箸である。しかも1本ではなく1膳使っているところがにくい。彼女はきっと本物の簪を知らなかったのだろう。それにしてもお箸として売っていただろうに、なぜ頭につけようと思ったのか。

新しいマイ箸の持ち運び方法??

ダウンタウンのWholefoodsではBONSAIが売られている。しかもオンタリオ州産らしい。盆栽の定義は広く、観賞用の鉢植えということだからこれを盆栽と呼ぶことは間違いではないけれど、私としては違和感を覚えずにいられなかった。私のイメージする盆栽はもっと繊細で表現力が高いものだからだ。それにしても盆栽は英語でもBonsaiなのだということを初めて知った。

Wholefoodsの入り口で売られる

やはり一番気になることが多いのは料理である。というかカナダで高い値段を払うことなく本物の日本食を食べることはできないということはもう心得ているので良いのだが、本物の日本食まであと一歩という料理が多いような気がする。最近の私のお気に入りはOnnki Donburiである。日本食ではないけれど、手軽な値段でほぼ日本食という料理を食べることができる。

日本食のようで少し違う(でもこれはこれで美味しい)

本物を知らないとほぼ本物と見分けることはできない。だから本物を見る知る感じる機会を持つことはとても大切だと思ってきた。がしかし、ここへきて本物とそうでないものの境界線って想像以上に曖昧だと思えるようになったのも事実。本物にもほぼ本物にも、全然違うものにも色いろと触れることが結局良いのではないかと思うようになった今日このごろ。フットワーク軽く動きたい。

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