「あなたの肝臓を食べたい」
というフレーズを知った時、ついつい笑ってしまった。普段、日本以外の文化や言語に対して、笑ったりすることはなるべく避けているけれど、こればかりは笑う以外に反応できなかった。なんでもこのフレーズはペルシャ語で愛を表現するものらしい。
ペルシャ語では「جیگرتو بخورم 」と書き、「jeegaretō bokhoram」と読む。
友人は笑っている私を見て、意味を考えるとすごく変だけど、フレーズとして使う時に意味は考えないからね、と笑いながら言った。なぜ肝臓なのか、ということについては、イラン人の友人もわからないらしいので謎のままである。
日本語に例えるとするならば「今日は月がきれいですね(夏目漱石はI love youをこう翻訳したという説がある)」みたいな感覚だろうか。「あなたの肝臓を食べたい」よりは赴きが感じられるが、私の感覚から言うとどちらも訳がわからない。
ちなみに日本の映画で「あなたの膵臓を食べたい」という映画があったので、何か関係があるのかと調べてみたけれど、関係はなさそうだった。作者は偶然このタイトルをつけたのだろうか。それともペルシャ語のこのフレーズを知っていたのだろうか。
最近、私の中で言語と文化について考えることがちょっとしたブームになっているのだけど、日本語は愛情表現をする言葉が英語やペルシャ語と比較して少ないような気がする(その他の言語は知らないが)。
というか、カナダに来て英語の愛情表現のバリエーションに驚いたが、この肝臓~のフレーズを知って、ペルシャ語は英語の斜め上を行くのではないかと思えてきた。
そんな英語話者やペルシャ語話者に、日本語では「LoveもLikeも<好き>と表現できる」と話すとパートナーも珈琲も同じ<好き>という一言で済ませてしまうことに違和感を覚えるらしかった。確かになぜ特別な言葉がないのだろうか。Loveの訳は<愛してる>なのだろうが、愛してる、なんてことを言う日本人男性を私は知らない。
日本人はシャイで言語による愛情表現が乏しい、なんて話を聞いたことがあるけれど、それはシャイなのが理由なのではなく、愛情を表現できる日本語が存在しない、ということが大きな理由の一つだと思う。そしてそれは、日本では「言わなくてもあなたを好きなことはわかっているよね」という察する文化の影響を受けているような気がする。
愛情表現を言語でするのか、しないのか、どんな言葉でするのか、それは言語(文化)次第なのだ、ということを考えると、言語を学ぶことは文化を学ぶことで、文化を学ぶことは言語を学ぶことに繋がるので、それらはなかなか楽しいし、文化や言語を知ることでより人生が豊かになるような気がする。言語学習に終わりはないので、嫌になることもあるけれど、楽しんで学べたらいいと思う。
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