トロントの私の通う大学には、トイレの一番目立つところにポスターが貼ってある。
<If you’re in a public washroom and you think someone’s gender does not much the sign on the door, follow these steps: 1. Don’t worry about it. They know where they belong.>
私が使っているのは女性用トイレなので、「生物学的な女性に加えて、生物学的には男性だけど性自認が女性の人も使えるようになっています、そんな人を見つけても気にしないでね」ということだ。こんなポスターが張ってある私が通う大学、そしてトロントという都市が私は好きだ。
一方でこのようなポスターが貼ってあるということは、ポスターを張らなければ許容されないということでもあるので、手放しでは喜べない。それに校内で見かける対象となるであろう人たちを、私はまだトイレで見かけたことがないので、このポスターが機能しているのかどうか実は良くわからななかったりはする。でもこのポスターが貼ってあることは非常に良いことだと私は思っている。
どこの国でもそうだと思うが、地方に行けばいくほど保守的になる傾向がある。地方の大学でも教えている教授によれば、地方の大学でこのようなポスターが貼ってあることは決してなく、トロントだからこそのポスターなのだと言っていた。やはりトロントはカナダの中でも特別な都市らしい。
お隣のアメリカではオバマ政権が学校では生徒の性自認の性を性別として扱わなければいけない、という通達を出したが、トランプ政権では撤回されていて、問題になっている。
私が日本で生活していた時には、トイレにこのような問題があるなんて考えたこともなかった。でも、すべての人間にとってトイレを使わずに1日を過ごすことはできないし、生きていく上で気持ちよくトイレを利用することは大切なことだ。だからこのことが議論の対象になるのだと思う。
マジョリティとしてなんてことなく利用しているものでも、マイノリティにとっては苦痛だったり違和感があることというのはLGBTQ関連のことはもちろん、他のことでもありそうである。今、知らないことで配慮できていないことがあるかもしれないけれど、場面に出くわした際には、マイノリティのことは理解できない、と言うのではなく、一緒に解決方法を探していけるような人でありたいと思う。